町長日記2018年9月22日(土)(一宮町在住外国人の方々との意見交換会と連続講座「加納家と一宮」第2回「加納県政の111日」
10:00-11:30 一宮町在住外国人の方々との意見交換会(Meeting with the mayor,公民館講義室)
13:30 連続講座「加納家と一宮」第2回「加納県政の111日」
本日は土曜日ながら、午前・午後、それぞれに行事がありました。午前中は、秘書広報課の国際交流員のマネージメントで、一宮町にお住いの外国人の方々との意見交換会の2回目が開かれました。前回行った時に頂いた各種のご質問やご提案にひとつひとつお答えいたしました。
皆さんのお話では、全体として、一宮町はいいところなのに、観光についての内外への発信力がまだまだ弱い、ということでした。前回の会合のときに、参加者の方から、道の駅などで見ていると、白子をはじめ、ほかの町のパンフレットは置いてあるけれど、一宮町のものは全然ない、というお話を頂きました。その後、睦沢の道の駅、九十九里の海の駅、千葉東金道路の野呂パーキングエリアなど、立ち寄った際に調べてみましたが、確かに他の市町村のものはあっても一宮のものはありませんでした。
産業観光課によれば、結構あちこちに送っているという話で、リストにも少なからぬ送付先が記されていますが、これからもっともっと増強しなくてはなりません。
町中に、ドライブ客が見るための飲食店や景観点のマップを大きくパネルで掲示してはどうか、との話もありました。一宮町の場合、結構頻繁に店舗ができたりなくなったりするので、アップデートが大変ですが、それをクリアーできれば、たとえば町の出入り口に近く位置するコンビニなどにそうした看板を設置するのもよいアイディアだということになりました。
次回以降、懇親の形も取り入れながら、更に交流の実を挙げてゆこうということになりました。
午後は、加納久宜公没後100年記念ということで、教育課主催で、「加納県政の111日」のご講演を、連続講座「加納家と一宮」の2回目として、四街道市教育委員会市史編纂所主任の中村政弘先生にお願い申し上げたので、出席しました。会場は公民館大会議室で、40人ほどの方がお見えでした。
加納久朗(ひさあきら・きゅうろうと呼ぶ方も多い)千葉県知事は、久宜公のご次男に当られ、横浜正金銀行ロンドン支店や日本住宅公団総裁などを勤められたのち、千葉県知事になられた方です。大変大きな構想をおもちの方で、大いに輿望を集められましたが、わずか在任111日で病に倒れられ、ご他界になられた方です。東京湾の埋め立てや横断道路建設の構想など、人を驚かせるお考えをお持ちでしたので、もっと長く執政されたら、千葉県も大分変わっていたかもしれません。
中村先生は、選挙までの千葉県政界の情勢を詳しく述べられましたが、わたくしが小さいころ耳にした大物政治家(川島正次郎、水田三喜男など)の名前が次々出てきて、少々なつかしい気持ちになるものでした。加納知事の政治家としての評価は、加納知事が、ビジョンは打ち出されたものの、短くして退場されたので、大変難しい、ということでした。その後の友納知事は、加納知事のプランと、その前の柴田知事の路線をベースにした混合路線を、歩んだそうですが、どうも基本は、柴田知事のプランであったようです。中村先生のお話を伺っていて思ったのは、柴田・加納両知事時代を通じてずっと副知事であり、後に知事に上り詰めて「開発の神様」といわれたという友納知事こそは、柴田・加納両知事を総合する立場で戦後千葉の姿を作った一番の立役者らしいということでした。
わたくしは、東京湾アクアラインの構想は、浜田幸一氏らが進めたものだという記憶がありますが、当時神奈川県民でしたので、千葉での議論は存じませんでした。そこで、構想が出てきた当時、加納知事の東京湾横断道路構想の再現という認識がありましたか、と質問を差し上げました。十分な認識が共有されていたのかはわかりませんでしたが、会のあと、会場にお見えになっておられた、久朗知事のお孫さんにあたられる加納家当主の久昭さんが、アクアライン開通のとき、渡り初めに招待された、と仰っていたので、県庁にはそういう認識があったものでしょう。
そのあと、若菜監査委員のお世話取りで、久昭さんに、来年の加納公没後100年記念事業のプランについてご説明を申し上げ、ご了承を頂けるかお伺いいたしました。久昭さんはご快諾くださり、お力添えを賜ることをお約束くださいました。大変ありがたいことと存じました。