町長日記 9月23・24日(世界ジュニアサーフィン選手権を視察)
宮崎県日向市で開かれた、2017 VISSLA ISA世界ジュニアサーフィン選手権大会の視察に伺ってきました。これは、ISA(International Surfing Association)の主催で行われたジュニアの世界大会で、41の国と地域から、360人ほどの参加者のある盛大な大会です。今年は27年ぶりに日本で開かれるということでした。この大会は規模が大きく、国際的な催しなので、オリンピックの開催の参考になるであろうということで、布村副事務総長はじめ、オリンピック組織委員会の皆さんと並行するかたちで、視察に伺ったものです。日向市からレセプションへの招待状を頂き、当日は色々とご配慮いただいて、ありがたく存じました。
23日は午前中に開会式が行われました。日向市の駅の周辺に、立派なステージ付きの公園があるのを利用した開会式でした。公園の裏手から、中学生のブラスバンドを先頭に、ISAの会長、NSAの会長、日向市長、宮崎県知事、国会議員・県会議員ほか、VIPの皆さんが続き、その後に各国・地域の選手団が続く、という形で、1つのブロックをぐるりと一回りし、公園の正面から入場してくるという設定でした。沿道には、各国・地域の小旗を持った市民の方々が大勢駆けつけておられ、小旗を振って歓迎の意を示しておられました。選手団は、市民の方と色々言葉を交わしながら進み、大変にぎやかな雰囲気に包まれました。
日本の選手団が最後に入場しましたが、会場の全員が立ち上がって拍手で迎え、国際親善のムードが漲りました。
関係者の皆さんのスピーチの後、各国・地域から持ち寄った海岸の砂を、ステージに備えたガラスの箱に入れるセレモニーが行われました。各国・地域の砂は、色や粒子の大きさなども様々なので、入れ終わった後は地層のような、マーブルケーキのような、きれいな断面を示していました。アギーレISA会長のお話では、これは各国が平和裏に共存することを意味しているのだそうです。ISAでは、毎回この儀式をやっているそうですが、なかなか見栄えのする一幕です。砂を入れる時、国・地域の旗を持ってくる人もいて、最後には全員ステージに上って旗を振りましたので、文字通り、カラフルで壮観でした。日向市のおもてなしには、地元のひょっとこ踊りの実演がありました。ステージから会場フロアに下りて、選手団の中をゆっくりと踊ってゆきましたが、その珍妙な恰好、面白い動作などが大いに受けたようで、ブラジルやフランスのチームの選手は、一緒に踊り始めていました。サーファーには、自然体を好む方が多く、最初から最後までしかつめらしい演出で一貫するより、こうした乱れ気味の部分があった方が、より成功すると思いました。
その後、われわれは海岸に移動して競技場の浜を見ました。浜は、海岸線に平行につくられた駐車場から波打ち際まで相当広く、かつての九十九里浜を彷彿とさせるものでした。また、右手にテトラの防波堤がありましたが、左手には構造物は無く、数キロにわたって自然な渚が広がっていました。東京に近かったら、釣ヶ崎にとっては、凌駕するのが難しい競争相手になったと思います。
本来は、この午後から競技が開始されるところだったようですが、次の朝に延期になったということでした。波はかなり高く、練習中の選手で一杯でしたが、皆さんダイナミックに波に乗っておられました。
実は、ここで驚いたことがありました。練習を見に来ている方が、サーフィンと関係が薄そうな方ばかりのように見えたことです。子供連れ、カップル、ご年配の方々、見学している方は、いわゆる“普通”の方ばかりでした。サーファーの方がおられませんでした。これは、一宮とは大きな違いです。浜辺で談笑していた、ご年配のご婦人と紳士の6人ほどのグループの方に伺ってみたのですが、どなたもサーフィンとは縁がない、ということでした。ただ、どういう風に波に乗っているのか、見たくて来るのです、というお話しでした。サーフィンやサーファーに対する違和感などはない、ということです。
これは、一宮とはかなり違っています。一宮では、サーフィン関係で、ビーチに見に来る方のほとんどは、サーフィン愛好者か、関係者の方です。それ以外の方はまだまだ少ない状態です。それはトーナメント本番のときもそうですし、まして練習などはいうまでもありません。いわば、サーフィンが、閉じた回路の中でしか作動していないのです。それに対して、日向市の場合は、外に大きく開かれていました。こうした日向市の状況は、わたくしどもにとっては、目指すべき方向性だと思います。後で、市長さん他に聞いてみたところ、数年前まではそうでなかったということでした。一般の人とサーファーとは溝や相互不信があったけれど、観光資源はサーフィンほかないので、今は自然に一丸となってサーフィン応援の気持ちになってきている、とのことでした。数年で長年の相互不信が解消しつつあるとすると、すばらしいことで、わたくしどもも学ばなくてはいけません。
夜はレセプションがありました。アギーレ会長、パズロ理事ほかの幹部の皆様とも、親しくお話しできました。2010年にアメリカに研修に行って苦労した甲斐あって、英語の運用には困りませんでした。英語が自由にできるようになって本当によかった、と実感しました。首長として、外国のVIPと通訳を介さず直接談笑できるというのは、大変な強みです。
アギーレ会長の奥様は、老子の思想が好きだと仰っていました。いま、日本の若い人は老子は読まないですね、と申し上げたら、では、何をよむの?というお尋ねだったので、西洋のものの方が読まれます、といったら、互いに相手のものを好むのね、と仰っていました。隣の芝生は青い、といったところなのでしょうか。実際、アメリカの若者・大学生は、東洋の思想、老荘思想、禅仏教、チベット仏教などに関心が深い人が多いようで、ボストンに行ったとき、書店にそういう関係の書籍が大量にあるのをよく見ました。
組織委員会の皆さまのお話しでは、サーフィンの関係者は、ISAのアギーレ会長はじめ、イベント重視の姿勢で、できれば2週間のオリンピック期間中、ずっとイベントをやってほしい、というご希望だったと伺いました。それはとても無理だということで、組織委員会の皆さんの今の感触では、5日間くらいのイベントと、その間の2日強の競技という形になるのではないか、とのお話しでした。イベントということでは、一宮町はもちろん、長生郡市・夷隅郡市総出で対応することになるのでしょうが、5日間連続というと、更に援軍を期待しなくてはいけないかもしれません。
わたくしからは、情報として、7月最初の日曜日に、東浪見・大村の八坂神社の祭礼がおこなわれ、釣ヶ崎にお神輿が巡遊することをお知らせいたしました。この情報は、組織委員会の皆様には届いていなかったようで、大変驚いておられました。十二社祭りしか考えていなかった、とのことです。わたくしとしては、前向きの対応をお願いいたしました。なんといっても地元の皆さんにとっては、神事は譲れない行事ですので、両立の道を探って頂きたいと思います。
次の24日の朝、日向市長も協議会場のビーチにおいでになるということで、われわれも再度現地にゆきました。日本チームには、特に女性チームに、3人も一宮町の住民の方が参加しておられて、町長としても嬉しい限りでした。川合美乃里さん、野中美波さん、中塩佳那さんのお三方です。どなたが勝ってもおかしくない実力者ぞろいだと大会関係者の方が仰っていました。伺ってみたところ、三人とも登板は二日目以降だということでしたので、わたくしどもは、皆さんのパフォーマンスは拝見できないのですが、優れた成績を上げて一宮に凱旋して頂きたいと思います。なお、わたくしどもが見ているときに、日本の男性の方が競技をされ、チーム内一位となられました。わたくしもおめでとうを申し上げさせて頂きました。