町長日記 5月9日(千葉県河川環境課長一行との会談)
今日は、午前中、千葉県の河川環境課長の一行が見えました。課長のお話しでは、現在河川については、①防災、②水資源の供給、③レクリエーションなどの利用、といった三つの側面からとらえている、ということでした。私は、河川は昭和前期までは、物流ルートとして最大のものであったこと、それが鉄道と、特に自動車輸送の発達で全面的に衰退したと考えられることなどを、付け加えさせて頂きました。
実のところ、かつて明治から昭和前期にかけての、一宮の別荘地としての繁栄は、一宮川の存在にもその多くを負っていたようです。一宮の市街地は、江戸時代から近隣の物資集散の拠点として都市的集積をみせていました。さらに地曳網が盛んになったことで、これに携わる人たちのために、各種サービス業が発達しました。この消費拠点としての機能が前提となり、一宮川河口地区の両岸に別荘が大規模に展開したわけです。別荘の居住者は、都会の貴顕の士が多かったので、ただの田舎ではなかなか満足できません。環境としての田舎のよさと同時に、都市的消費レベルを一定程度維持できる条件が整う所こそ、別荘地として重宝されます。一宮は河口の両岸に田舎風情があふれている上に、都会人の消費を満足させる市街地もありました。別荘地から市街地へは河川交通で簡単に行くことができ、しかも美しく楽しい河道で結ばれていました。これが一宮川河口地区を中心に別荘が展開した理由であったと推測します。
ポンポン船は、そうした一宮川のかつての輸送路としての利用の名残でした。復活を願う方が多く、私もそのひとりですが、人間の日常生活が河川と縁が薄くなってしまった現在、再度関係を結びなおすにはどうしたらよいのか、思案のしどころです。その際、かつての記憶は、様々なヒントを我々に与えてくれる源泉になると思います。そういう意味では、昔元気がよかった時期のポンポン船の記憶は、大変重要だと思います。先輩たちから教えを請うてゆきたいと思っています。
確かどなたかの俳句で、「ねこやなぎ一銭蒸気着くところ」というのがあったと思います。高校生のときに読んだ三好達治氏の『諷詠十二月』に出ていたと記憶します。一銭蒸気とは、隅田川を上下した船で、まさにポンポン船だったそうですが、この句はなにがしか一宮のポンポン船のイメージにも重なると感じます。皆さまの印象はいかがでしょうか。